2023年の360°パノラマ業界事情

まず、Googleはストリートビューをやめたがっている。いや、Googleが自前で用意したストリートビューデータ以外の扱いを止めたがっている、というのが正確なところでしょう。その気配はすでに5~6年前から感じられていましたが、スマホのストリートビューアプリの廃止を境に一層顕著なものとなりました。

Googleは2008年に日本でストリートビューの運用を開始しましたが、当時はこのプラットホームを爆発的に広める為に、自らが胴元となって「Googleストリートビュー認定代理店」と「Googleストリートビュー認定フォトグラファー」の看板制度を設けて、稚拙な撮影技術情報の共有を餌にして多くのベンチャー企業の参入を募り、展開拡大を図りました。

これは当初の目論見は良かったのですが、残念ながらGoogleは運用開始後の技術的なサポートをまともに行なわなかったので、基礎的な写真制作の知見の無いベンチャー企業たちがスキルアップすることはなく、粗雑なパノラマがストリートビュー上に氾濫することになりました。そして結果的に、店舗や施設のストリートビューは利用率が激減し、ついにはストリートビュービジネス自体がGoogleから見切りをつけられる状況に陥ったのです。(ストリートビュー衰退の原因は、もちろんGoogleの運営にもあります。廃業したお店のストリートビューデータが死屍累々の如くマップ上に残り続けるなど、問題点を挙げたらキリが無いほどに運営態勢は粗末でしたから。)

今でも「Googleストリートビュー認定代理店」や「Googleストリートビュー認定フォトグラファー」の看板を掲げている企業やフリーランサーのWebを目にしますが、Googleはこれらの制度を随分昔に廃止していて、今ではそれらはただの幻影に過ぎません。そもそも、これらの看板にはなにかしらのスキル認定制度があったワケでもないので、単なる泊付け(ハッタリ)の役割しかなく、現実的には意味を伴わないものでした。まぁそんなこんなで現状、ストリートビューがビジネスとして成立している企業はそう多くはないはずです。いや、多分ほとんど無いでしょう。

Googleはストリートビューアプリを廃止することによって、一般ユーザーからのストリートビューデータのアップロード、エントリーを絞りました。いま一般の方がストリートビューに360°パノラマをアップロードする手段は、Googleマップしか残されていません。エントリーの間口を狭めたことによって明らかに、Googleはもう一般のストリートビュー投稿は御遠慮頂きたい、というスタンスであることが窺えます。

この一般ユーザー締め出しの背景には、360°インタラクティブパノラマのデータは、それを預かるサーバーやトラフィックに与える負荷がとても大きいという問題が潜んでいます。サーバーの保守管理、運用の立場から見れば、パノラマは結構やっかいなデータなのです。いくらGoogleと言えども、昨今の業界事情から鑑みて、膨大な量のインタラクティブパノラマデータが今以上に乱雑に増え続ける事に対しては何かしらの歯止めを掛けざるを得ない、ということでしょう。

ストリートビューを業務として手掛けている場合は、ストリートビューAPIを利用するサービスやアプリを経由して、パノラマデータをGoogleマップにアップロード、ノード(撮影地点)の配置などを編集し、公開します。これは幸いにもまだ機能しています。でも、先日Twitter社が行なった様に、ある日突然Googleが「ウチのストリートビューAPIをこれからも使いたいなら、年間1千万円払ってください」などと言い出す可能性が無いとは言い切れません。もしそうなれば、その対価の支払いに対応できないサービスプロバイダーやソフトウェアハウスが続出し、ストリートビュービジネスは直ぐに終焉を迎えることになるでしょう。

この話はどういうことかというと、つまり、誰かが作ったプラットホームに乗るビジネスは、常にそのサービス廃止のリスクと背中合わせにある、ということです。ビッグテックが作ったプラットホームに乗るのは見栄えも良いからと安易に走る気持ちも分からなくもありませんが、仕事として手掛けるなら必ずその背景リサーチと将来の展望を予測することが必要です。

このリスクは、ストリートビューだけではなく、具体例を上げるならYouTubeの360°パノラマ動画や、Matterportにも同様に存在します。

360°動画は、サーバー運営側からすればやっかいな代物です。何と言ってもストリーミングで流す膨大なデータ量のわずか25%程度しか実際に利用されないのですから。これは、仮想全球空間の中でユーザーが見ている視野範囲が全球投影の25%程度でしかなく、常時、その視野外の75%のデータが「捨てデータ」として垂れ流されるという仕組みに起因しています。

ここで少し見方を変えて、サーバー運用者の立場になって想像してみてください。サーバーの運用には莫大なコストが掛かるし、保守管理にも多大な労力が必要です。その基本事情を踏まえた上で、果たしてこのストリーミングデータの75%が必然的に無駄となる仕様の非効率さを許容できるのか否か。近年Facebookが360°パノラマコンテンツへの対応をレベルダウンさせたのも、これが理由だと推測されます。

ついでにMatterportについても言及しておきましょう。Matterportはシステムとしての完成度が高く、ハードウェアとソフトウェア、そしてその運用についても優秀な人達が練りに練って構築した見事なシステムです。実際、Matterportのカメラを使って取得したパノラマの画像クオリティはプロのフォトグラファーの眼から見ても、とても素晴らしい仕上がりです(ただし解像度は除く)。そしてドールハウスマップというギミックもなかなかキャッチーな仕掛けで、一般人の興味を惹き付けることに大きく貢献しています。このギミックが気に入ってMatterportを使うユーザーも多く見受けられます。

さて、こんなに素晴らしいMatterportなのに、世界中のプロのパノラマクリエイター達がこれを使っている例は全くと言っていいほど見当たりません。今なおプロのパノラマクリエイター達は誰もMatterportをビジネスに利用しようとはしていないし、むしろ「くたばれMatterport!」と叫んでさえいます。なぜなのか?

それは、このシステムは完成度が高い反面、その仕様が完全に固定化されていること、そしてシステムの中身がブラックボックス化されていることに理由があります。

平たく言えば、このMatterportのカメラを使えば誰が撮っても全く同一のイメージクオリティしか得られない、ということです。ベテランのパノラマフォトグラファーが撮っても、ド素人の学生アルバイトさんが撮っても、同一条件下で撮影したなら、得られるイメージクオリティはまったく同じレベルに仕上がります。撮影者のスキルや創意工夫が介在する余地がシステム運用のワークフローに残されていないからです。

Matterportのカメラを使えば、誰が撮っても(解像度は低いし天井と地面は無いけれど)高いイメージクオリティが得られるというのは、一般的には理想的で素晴らしいことです。ですが、それは裏を返せば、このシステムを使ってビジネスをしようとする者、企業にとっては、競合他社との差別化を提供価格でしか図れないということにほかなりません。分かりやすい言葉で言い換えるなら、受注価格の叩き合いを覚悟しなければ案件を獲得できない、ということです。

制作業界での経験が無い方々は、そのことに気付くことができずにMatterportのカメラを50万円プラスアルファで買ってしまいます。そして、いざその運用を手掛けてみて初めて、激しい価格競争を継続する事でしかでしかこのビジネスを維持できない現実に気付くことになるのです。そこに将来性はあるのでしょうか。軽くリサーチをしてみても、もはや見積価格の叩き合いというレベルを超えて、冗談みたいな安値で殴りあいの様相を呈しているのが現状です。

(もし私がMatterport案件をどこかに依頼することになったら、きっちりした仕様書を作って相見積りを取り、最も安い見積額を提示してきた制作会社に依頼します。だって仕様書の指示が完璧なら、どの制作会社が作ったとしても違いは有り得ませんから。つまり、Matterport案件ではクライアント側がどれほどきっちりした仕様書を作成出来るかという一点に全てが掛かっています。)

メルカリやヤフオクで程度の良いMatterportのカメラが常時いくつも半値程度で売りに出されているのは、そういう背景があるのです。(Matterportはだれでも簡単に使える仕組みなので、どこかのベンチャー企業のフランチャイズの話なんて、絶対に乗ってはいけませんよ。ストリートビューでもそうでしたが、世の中本当に恥ずかしげも無く阿漕な真似をして人をカモにするベンチャーが多過ぎます。特にストリートビュー関係では酷いベンチャー企業が数多く目に付きました。ダメ絶対。もしどうしてもMatterportのカメラを使ってみたいなら、Amazonとか、あるいは中古で入手するのがいいと思います。うん、中古がいいと思うな。笑)

360°パノラマのデジタルコンテンツは、1996年に誕生してから今までずっとニッチであり続けてきましたが、これは今後も変わらず、文化や産業資料を後世に伝える事に(ニッチな立場のまま)役立っていくでしょう(期待を込めて)。それも細々と。インタラクティブパノラマの素材として必要なものは常に、高画質な高解像度のEquirectangularイメージです。それさえあれば、これから先どのようなバーチャルツアー類似の表現方法が現われるにせよ、必ず役に立つでしょう。もちろん3Dソフトウエアとの連携があれば望ましいのですが、今はまだこの連携部分はユーザーには不親切な仕様ばかりなので、今後の改善に期待を寄せています。

長文乱文にお付き合い下さってありがとうございました。感謝。